『 庭私考 』
「原風景」という言葉に皆様は何を思い浮かべますか?
原風景とは、人が生まれ、育つ過程においてみていた景色や光景、その中での体験や記憶などが意識の深い場所に積り、混ざり合い、心や体に刻まれる故郷のような、心象風景のような、記憶の中の空気感のようなものかと思います。それはまた、記憶によって捏造された故郷と言えるかもしれません。
私にとっての原風景を思い浮かべてみますと、私が生まれ育った厚木の街の田園地帯のどこからでも眺めることが出来る大山という山の姿と田畑の景色がまず頭に浮かんできます。
その景色は普段殊更意識することなく眺めていた景色でしたが、ある時、電車の車窓から見えてきた大山の姿とその景色に響きあう私自身の心と記憶に「原風景」を意識したことを覚えています。
私の住む地方では人が亡くなってから百一日目に、親族が大山の麓にある寺に供養しに参るという風習があり、幼い時分に母を亡くした私が百一日参りに大山に行ったことや、時の流れの中で変わっていく物事や自分自身をいつも変わらずに見守ってくれているかのような大山の姿を私自身の様々な記憶と想いを重ね合わせて、私にとっての原風景が出来上がっているのだと思います。
庭を造るということは樹木や植物、石や様々な自然からの素材を用いて、どこにもないその場所だけの空気感を作り上げるということです。
それは自然からのものを用いて、そこに住まう人や家族のもつ原風景のようなものを一つの形にすることかと言えるかと思います。
また、庭というもの自体が人の手や意思によって作られるある種、自然を捏造したものと言えるかもしれません。
捏造された故郷と捏造された自然、誰もがその人だけの体験と記憶があり、誰しもがその人だけの原風景と呼べるものを心の中に持っているものだと私は思います。そしてそれは多くの場合、どこか懐かしいようなどこか安らげるような、やさしい想いを人の心に感じさせてくれるようなものだと私は思っています。
私はひとりひとりのお客様の想いに寄り添いながら、そのような、皆様にとっての原風景のようなものを感じられる庭をつくっていけたらと思っております。
2019.4.5 庭現 相田峻介
